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福藤豊、NHLでプレイした初の日本人選手に
2007年01月18日 (木) 00:12 | 編集


NHL.com -- 1月13日の対セントルイス・ブルーズ戦。ロサンゼルス・キングズのマーク・クロフォード監督が第3ピリオドから福藤豊(24)にゴールネットを守らせたのは、日本人が初めてNHLの試合に出場するという歴史を作りたかったからではなかった。ただ試合に勝とうとしていたからだ。

「3ピリは相手のパワープレイから始まったからね、前のピリオドとは何かを変えたかった。チームを元気づけたかったんだ」。5-4と1点ビハインドのスコアでゴーリーをバリー・ブラストから福藤に替えた理由を、クロフォードはそう説明した。「(3ピリ開始5分18秒の)エリック・ブリュワーの決定的なチャンスをフクフジがすばらしい反応で止めたとき、僕は思ったね、『ウチが試合に勝つために必要なのはこれだったんだ』と」

第3ピリオドで浴びた5本のシュートのうち、福藤は4本をセーブした。試合は6-5でキングズの負け。しかし・・・

「ある日突然、一つのチャンスがきっかけで、すばらしいNHLerへと変身する。僕はそんな選手をたくさん見てきた。どうなるかわからないよ」(クロフォード)

「めっちゃ緊張しました」と福藤。「でも2ピリの後のインターミッションで、監督が僕のところに来て、『楽しんでおいで。あまり緊張しないように』と言ったんです。あの言葉には助かりました」

NHLの1試合に出て、5本のシュートのうち4本をセーブする。それだけで即NHLerになったとは言えない。しかし北海道生まれの選手がいつかはホッケーのスターになるかもしれない・・・そう夢見るのはいいものだ。そう思わないか?

特にキングズのように、みんなで一生懸命プレイはするけれども、ベテランのダン・クルティエやマチュー・ギャロンや、バリー・ブラストでもいい、とにかくゴーリーが1つか2つの簡単なゴールをゆるしたために負けてしまう、そんなチームにおいては。

それに福藤は、2004年NHLエントリー・ドラフトでキングズが8巡目(全体238位)で指名した選手だった。その年に指名された選手の中で、福藤は最後から7番目でしかなかったのだ。そして今、彼はNHLにいる。

日本でのアイスホッケー? 私は思い返す、エドモントン・オイラーズのディフェンスマン、ランディ・グレッグが彼の国でプレイしていたことを。ダリル・サターもいた。1980年代のことだ。

「僕は北海道の釧路という街で育ちました。釧路はほとんどのカナダの小さな街と変わりません。寒くて、雪がたくさん降って、スケートができる氷がある。ホッケーを始めたのは9歳の頃。友達がたくさん、ホッケーをやっていたから。どうしてゴーリーになったのかはわからないんです。たぶん他の誰もやりたがらなかったからじゃないかな」。福藤はそう言って笑った。

次の質問ははっきりしていた。NHLについて知っていたことは?

「そんなにないです。15歳になるまでNHLの試合を見たことはなかった。スタンリー・カップ決勝の試合で、マルタン・ブロデューアがプレイしていたのを憶えています」

おとぎ話に事実を持ち込むのは野暮なことだが、もし福藤がカップ決勝でブロデューアを見たのなら、それは1995年だ。そのとき福藤は13歳だったはず。しかしそんな間違いはたいした問題ではない。

キングズが自分をドラフトで指名するまで、NHLでプレイするなど考えたこともなかった。そう福藤は言う。

「日本代表として参加したチェコでの世界選手権のときでした。僕を指名したと、キングズが電話をしてきたんです。どう考えていいのかわからなかった。そのとき僕はチェコにいて、家族もいなかったし、・・・そのとき僕が感じた誇りをわかってくれる人はそこにいなかった」

日本人として初めてNHLでプレイした選手がキングズにいる。その重要性を軽視したくないと、クロフォードは言う。

「アイスホッケーが地球規模で、あまりアイスホッケーになじみのない国にも広まっている。それを私たちは見てきた。ウチのアンジェ・コピタルを見てくれ。彼はスロベニア出身の初のNHLerだ。今シーズン最高のルーキーはコピタルだ、そう言う人もいるだろう。ここ10年か20年で、ホッケーというスポーツが世界でどれだけ発展してきたことか。すごいことだよ。今後、他の日本人選手が出てくるかもしれないよ、ユタカがNHLデビューしたことでね」

「3ピリ、フクフジがいくつかセーブをしたおかげで、ウチにも勝つチャンスが生まれた」とディフェンスマンのロブ・ブレイクは言った。

2004-05年のシーズン、福藤はイーストコースト・ホッケーリーグ(ECHL)のベイカーズフィールドに所属し、27勝9敗5分、GAA(1試合の平均失点)2.48という記録を残した。翌シーズンは同じECHLのレディングで15勝9敗4分、GAA2.91をマークした後、アメリカン・ホッケーリーグ(AHL)のマンチェスターに移り、1勝1敗だった。

先週はじめにクルティエとギャロンが相次いで故障する前、福藤のレディングでの成績は3勝3敗、そしてマンチェスターでは2勝0敗、GAA1.30、セーブ率0.954。悪くない数字だ。

「ウチが今シーズン、ゴーリーで苦しんできたのははっきりしている。そして最近は(ゴーリー陣の怪我という)苦難も経験したよ。ウチのチームのために何ができるか、それを見せてくれる別のチャンスを、ユタカはもらえるかもしれない」。そしてクロフォードは付け加えた。「ユタカがこれまでプレイしてきたどのチームも、彼がどれだけすばらしい子か、チームのためにどれだけ活躍したか、ベタ褒めだよ」

福藤はすでに一度、歴史を作った。二度目があったっていいじゃないか。
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