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ロン・フランシスが現役引退
2005年09月15日 (木) 23:07 | 編集


ノースキャロライナ州ローリー(AP)-- ロン・フランシス(42)は永遠にプレイするつもりではなかった。そういうふうに見えただけだ。

NHLオールスターに4度選ばれたフランシスが14日、23年間過ごしたNHLからの引退を発表した。ペンギンズでスタンリー・カップを2回獲得。出場試合数、ゴール、アシスト、ポイントのすべてにおいてNHL史上有数のキャリアを築いた。

「いつまでもプレイしていたいと皆が願う。けれども引退するときはやって来るのだと皆が悟る。引退を決断することと次へのステップを踏むことを楽に行うことができて、私は幸せだ」。引退に際してフランシスはそう語った。

ハートフォード・ホエイラーズ、ピッツバーグ・ペンギンズ、キャロライナ・ハリケーンズ、そしてトロント・メイプルリーフスに在籍。わずかな人間だけが肩を並べられる成績を残して、フランシスはホッケーから離れる。通算1249アシストはウェイン・グレツキーに次いでNHL歴代2位。1731試合出場は歴代3位、549ゴールは19位、そして1798ポイントは史上4位の大記録だ。

1991年と1992年はペンギンズでスタンリー・カップ優勝した。2002年はハリケーンズのプレイオフ決勝までの快進撃を支えた。

それに加えて、フランシスはレディビング・トロフィを3度受賞している。ホッケーの実力もあり、氷上で紳士的でスポーツマンシップあふれる選手に贈られる栄誉だ。

控えめで落ち着いた性格。自身の人柄そのままに、フランシスはNHL選手会の公式ウェブサイト上で引退を発表した。

「あの引退発表は、ロニーのキャリアのようだったね。非常にプロらしかった」と言うのは、ハリケーンズの社長でありジェネラル・マネジャーでもあるジム・ラザフォード。「ロンは静かに仕事に取り組んだ。 ホッケー史上で偉大な選手の一人だ」

フランシスによれば、2004-05年のシーズンをまるまる消し去った労使紛争が、自分の現役時代はもう終わりなのだと告げる役割をしたのだという。マーク・メシエ、スコット・スティーヴンズ、アル・マッキニスらも今月、現役からの引退を発表した。

「これまでを振り返ってみると、長いキャリアだった。こんなに長くやるとはもちろん予想していなかったが、キャリアの様々な面をもちろん楽しんだ。現役時代を良い思い出と共に振り返る。後悔なんて全くない。私の人生の素晴らしい一部分だった」

自らのキャリアで最も誇れる部分は、調子の波が安定していたこと(少なくとも20ゴールを記録したシーズンが20回もある)と、成功したチームの一員だったことだとフランシスは言う。

もちろん、グレツキーやゴーディ・ハウのような偉大なホッケー選手とともに、NHL歴代記録リストに載っていることも特別なことだ。

「ウェイン・グレツキーと一緒に名前を言及されるなんて、誰にとっても名誉なことだと思う。グレツキーと同じ分類に入るような選手だとは自分では思わない。でもグレツキーやハウを引き合いに出して自分を語られているのを見ると、自分が成し遂げたことに誇りを持てる。たいへんな賞賛だと受け止めている」

フランシスは1981年のNHLドラフト会議でハートフォード・ホエイラーズから指名を受けた。全体4位だった。1991年にペンギンズにトレードされるまでの最初の7年間でマークした平均ゴール数は27。91年プレイオフでは17ポイントを記録してペンギンズのカップ獲得に貢献した。シカゴ・ブラックホークスと対戦した翌年のプレイオフ決勝第4戦では、決勝ゴールをきめた。

1997年にハートフォード・ホエイラーズはノースキャロライナ州ローリーに移転し、キャロライナ・ハリケーンズとなる。フランシスは98年にハリケーンズに移籍し、以来バスケットボールが盛んな地域でホッケーを根付かせる手助けをした。ハリケーンズでの最高のシーズンは2002年。フランシスの27ゴール50アシストは、チームの東カンファレンス優勝に貢献した。

ハリケーンズには6シーズン近く在籍し、2004年3月にトロント・メイプルリーフスにトレードとなる。この移籍で3度目のカップ獲得に挑戦したが、チームは東カンファレンス第2ラウンドでフィラデルフィア・フライヤーズの前に屈し、フランシスのキャリアも終わった。

昨年夏、ハリケーンズはフランシスにフロント運営の職を提示している。だがフランシスは断り、プレイし続けるのかどうか、自らの将来についてははっきりさせないできた。

GMラザフォードによれば、ハリケーンズはフランシスの背番号10番を永久欠番にする予定。そして今後もフランシスに対してフロント職の提示はしていく可能性があるという。「ハリケーンズは、ロンがホッケーと我々のチームにしてくれたことに最大限の敬意を表する」とラザフォードは語った。


::: すかすち、マッキニス、メシエ、ダンフース・・・、大物が続々引退していき、ついには「NHLの若林豪」ことフランシス様までもがジャージを脱ぐということで、寂しいなあと感じています。
ゴールやアシストなど、数字に表れる記録はもちろんですが、おそらくNHL史上でもトップクラスのフェイスオフの抜群のうまさや、黙っていても周りの人がついていく渋くて落ち着いた人柄など、数字に現れない部分がフランシス様のよりすごいところであり、コアなNHLファンからは人気が高かった理由ではないかと思われます。
記録はすごいのに目立たないからか長野やソルトレイクのオリンピック代表には選ばれず、本人もかなり寂しい思いをしていたらしい。米ESPN「NHL2ナイト」のコメンテーターをしていたバリー・メルローズが「なんでロニーをオリンピック代表にしないんだ!?」と疑問を呈していたのを思い出します。
私はよく知らないのですが、フランシス様がいたホエイラーズはとても弱かったらしい。ずっと弱いチームで負け続けていたことに辟易していたフランシス様は「トレードに出せ」とチームに要求し、ペンギンズに移りました。移籍したその年にカップを獲得してしまったことがまた、ハートフォードで弱いマイチームを細々と応援していたホエイラーズ・ファンの神経を逆撫でしたそうです。しかしそのことに負い目を感じていたのか、移転して新生ハリケーンズとなったフランチャイズに、フランシス様は戻ってきました。当時のケーンズは決して強いチームではなかったのですが、最高級のベテランであるフランシス様の薫陶を受けたケーンズは2002年のプレイオフで快進撃を続け、ついにカップ決勝まで上りつめたのでした。決勝ではデトロイト・レッドウィングズに4-1で敗れてしまったけれど、あの弱かったケーンズがプレイオフですばらしい試合を続けたことは、フランチャイズにとって大きな自信になったことはまちがいなく、その自信の基礎的な部分はフランシス様の存在に負うところが大きかったのも事実でしょう。
今後は何をなさるんでしょうか、フランシス様。まあしばらくは休んでいただくとして、ぜひぜひ、いつかNHLの舞台に戻ってきていただきたいですね。どうもお疲れさまでした。
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