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ゴール数NHL歴代2位のマーク・メシエが引退を発表
2005年09月15日 (木) 14:58 | 編集
ニューヨーク(AP)-- 1979年、グレン・セイザーは、第4ラインのウィンガーだった18歳が後にNHL歴代単独2位のゴール数を記録することになるマーク・メシエ(44)へと成長するなど想像できなかった。

「マークはスーパースターの雰囲気をまとっていたわけではなかった。でもホッケーをしたいという気持ちを持っていた」。メシエが25年のNHLキャリアからの引退を発表した直後、セイザーはそう語った。

厳しいセリフ。冷徹な眼差し。そして自身の烈しい性格を表す、整った形の顎。メシエはあらゆる意味において、チームをリードするキャプテンだった。そして今、すべてを氷上に残してリンクに背を向ける。

スタンリー・カップを獲得すること6回。そのうちの1つは1994年、ニューヨーク・レンジャーズが54年ぶりに獲得したカップだ。

「ぼくは第4ラインのチェッキング・フォワードとしてNHLに入った。与えられた役割は限られたものだった。それからは左ウィンガーになり、センターに変わり、第1ラインのセンターになって、チームのリーダーに、と梯子を上がっていき、リーグ優勝する機会を得た。そのプロセス自体が、ぼくにとっては教育だった」

しかし、メシエは同時に教師でもあった。カップを獲得した異なる二つのフランチャイズでキャプテンを務めたのはメシエだけだ。エドモントン・オイラーズでは5個のカップを獲得した。うち4回は、NHL歴代通算ポイントでメシエを上回るただ一人の男、ウェイン・グレツキーと共に得たものだった。

1991年の夏、ニューヨーク・レンジャーズにトレードされてから、「メシエ伝説」は始まる。世間を驚かせたグレツキーのロサンゼルス・キングズへのトレードから3年後のことだ。7年間で5回のカップ優勝。オイラーズはいわゆる「王朝」を築いていた。最後のカップ獲得の翌年にグレツキーがトレードされてオイラーズの絶頂期は過ぎ、トレードされた最後の大物がメシエだったのだ。

「エドモントン王朝」を作り上げ、栄光の時代をベンチから指揮したセイザーは、どのチームへ行きたいかメシエに訊いた。メシエの答えは、1940年以来カップとは無縁だったニューヨーク・レンジャーズ。

メシエがニューヨークでカップ獲得の目標を達成し、スポーツ界の偉大なリーダーの一人としての評価を固めるのに、わずか3年しかかからなかったのである。

「ニューヨークのチームのそれまでの歴史は、すべて知っていた。・・・でもニューヨークに実際に行くまで、あの街でプレイする覚悟には何の役にも立たなかったと思うよ。カップを取るために大切なことについては、それなりに自信はあった」

メシエはカップへの挑戦を受け入れた。カップ獲得のチャンスが手元から滑り落ちていきそうに思われたとき、メシエは第3回スーパーボウルで優勝したニューヨーク・ジェッツのクォーター・バック、ジョー・ネイマスの「日曜日は我々が勝つ。私が保証する」のセリフを引用して、レンジャーズの勝利を請け負った。

1994年プレイオフ、東カンファレンス決勝。レンジャーズはニュージャージー・デビルズを3勝2敗で追っていた。第6試合で、メシエはレンジャーズが第7試合まで行くことを約束。キャリア4回目で最後のプレイオフでのハットトリックをマークし、レンジャーズは4-2でデビルズを下した。メシエは言葉どおりの働きをしたのだ。

第7試合、レンジャーズは第2オーバータイムまで行く死闘を制してプレイオフ決勝へ進む。そして決勝ではバンクーバー・カナックスと対戦し、第7試合でカップ獲得を決めたのだった。

1988年からレンジャーズでプレイし、昨年ボストン・ブルーインズにトレードになるまで在籍したディフェンスマンのブライアン・リーチはこう話す。「ぼくが今まで一緒にホッケーをやったどの選手よりもはるかに、メシエはぼくのキャリアに大きな影響を及ぼした。メシエと同じロッカールームで過ごし、彼がチームメイトたちや勝つことにどれだけ献身的かを見る。みんながそんな機会を持てればいいのに」

メシエのキャリア晩年は、初期ほどの栄光には彩られなかった。マイク・キーナンを追ってカナックスに移籍後の3シーズン、そしてレンジャーズに舞い戻っての4シーズン。キャリア最後の7シーズンは、いずれもプレイオフに進めなかった。

「そのことについては、これからずっと残念に思うだろうね。でもそれ以前のプレイオフで、すばらしい思い出がたくさんある。その思い出が、プレイオフに行けなかった7シーズンの悔しい思いをやわらげてくれると思うよ」(メシエ)

現在レンジャーズのジェネラル・マネジャーであるセイザーは、メシエがリンクに戻ってくる余地を残していた。しかしセイザーとメシエの話し合いが、そこまで至ることは決してなかった。

来年の1月12日、レンジャーズはオイラーズを迎えての試合の前にメシエの背番号11番を永久欠番にする。その日はジョー・ネイマスが約束を果たし、ニューヨール・ジェッツがはるかに下馬評が高かったボルチモア・コルツを下して第3回スーパーボウルに勝ってから、ちょうど37年後になる。レンジャーズの永久欠番は、ロッド・ギルバートの7番、エドジャコミンの1番、そしてマイク・リクターの35番に続いてメシエが4人目。

2004年3月31日、ロックアウトによるシーズン中止前の最後のホームでの試合後、メシエはさよならだけは言わなかった。またリンクに戻ってくるかどうか確信が持てなかったのだ。

事実、ホッケーに戻りたいという気持ちは、昨年より現在のほうが強いとメシエは言う。しかしメシエは体調がいいうちに現役を退き、まだ小さい子どもと妻と時間を過ごすことを楽しみにしている。

「本当に成し遂げるものは残っていないよ。ホッケーから離れて、何か他のことに挑戦するときが来た」とメシエは語った。

リーグMVPに2回選ばれ、オールスターにも16回出場した。メシエは今後、愛するホッケーと自分を密接に結びつけ続けるのなら、いかなる提案も聞いていくつもりだと言う。

プレイオフのゴール数とアシスト数でメシエを上回るのは、現フェニックス・コヨーテズ監督のウェイン・グレツキーだけだ。だがマンハッタンでのメシエのステイタスを高めた「優勝請負人」というカテゴリーでは、メシエはグレツキーを上回る。

「マークは無私で、勤勉で、献身的な、類い稀なリーダーだった。ホッケーを愛していた。今まで一緒にプレイした中で、マークは最高の選手だった」とグレツキーは親友を称えた。

NHLレギュラーシーズン通算1887ポイントはグレツキーより970少なく、歴代3位のゴーディ・ハウより37多い。

メシエはいつでも彼の流儀で物事を成し遂げてきた。そして引退もその例外ではない。NHL史上6人しか達成していない700ゴールまであとわずか6ゴールにもかかわらず、そしてゴーディ・ハウの持つ最多出場記録の1767試合まであと11試合なのにもかかわらず、メシエは自分自身をもう一度ホッケーへと駆り立てようとはしなかった。

プレイオフで決めた109ゴールは、グレツキーより13少ない。また186アシストはグレツキーの記録を74下回る。

グレツキーとメシエはレンジャーズで再び同僚となったが、メシエがフリーエージェント契約でバンクーバーに移籍したため、1年で離ればなれとなった。1997年プレイオフで、グレツキーを擁したレンジャーズが驚くべき快進撃を見せ、東カンファレンス決勝まで進んだ後のことである。

2000年にレンジャーズGMの職に就いたセイザーは、メシエをバンクーバーから連れ戻す。第4ラインのフォワードとしてではなく、キャプテンマーク「C」をメシエに再び着けさせるためだった。


::: 1994年プレイオフでNYRが窮地に立たされたとき、キャプテンだったメシエが「この試合は必ずウチが勝つ」と宣言してチ-ムを奮い立たせ、その言葉どおり大活躍して、最終的にカップを獲得。NHLファンの間ではたいへん有名なエピソードで、「メシエ伝説」の最たるものでしょう。80年代後半のオイラーズ黄金時代のキャプテンはグレ様が努めていましたが、メシエという精神面のリーダーの存在もオイラーズにとっては大きかったのでしょうね。
NHLに入ったときはまったくパッとしない選手だったというのもまた有名で、スピードを生かした超攻撃的なオイラーズのチームカラーが合っていたのか、どんどん記録を伸ばし、しまいにはグレ様に次いでポイント歴代単独2位まで上りつめました。大器晩成型でもあったのでしょうし、また人知れず努力も重ねていたのでしょう。グレ様と違って、オイラーズを離れた別のチームでもカップを獲得したというところに、メシエのリーダーとしての真骨頂があります。メシエに選ばれて、NYRは幸せなチームだったと言えるかもしれません。
メシエが鉄血監督ことマイク・キーナンになぜあれほどまでに心酔するのかよくわからないのですが、今後NHLのコーチ職に就くことになったとしても、キーナンのような監督にはならないでねと祈るばかり。ずっと独身だったのに、いつの間にか結婚していて娘さんももうけていたのね。年をとってからの子どもだから、もうメロメロに可愛いんだろうね。オイラーズを迎えて行われる永久欠番セレモニーには、きっとメシエ一家勢揃いね。今から楽しみ。ともかくメシエ、長いことお疲れさまでした。また「City of Champions」エドモントンに行ったら、メシエが中心となって築いたオイラーズ黄金時代に思いを馳せてみます。
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