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アル・マッキニスの引退記者会見
2005年09月11日 (日) 11:33 | 編集
セントルイス(AP)-- セントルイス・ブルーズのディフェンスマン、アル・マッキニス(42)が9日、23年間在籍したNHLからの現役引退を発表した。会見の中でマッキニスは、昨シーズンのロックアウトについては言及したが、2003-04年のシーズンのほぼ全試合を欠場する原因となった目の負傷については語らなかった。

「体の調子はいいし、意志も強い。でも今日がこれまでの数々の幸福を思い起こすときだ。私がいま持っているもの、すべてはホッケーのおかげ。スケート靴を脱ぎ、感謝するときが来た」。ときおり声を震わせながら、マッキニスは話した。

時速100マイルのスラップショットで知られるマッキニスは、組織の運営やマーケティング部門でブルーズに残ることになる。1989年にカルガリ・フレイムズで選手としては唯一のスタンリー・カップを獲得し、現役最後の10シーズンはブルーズでプレイした。

「この日が永遠に来なければいいと思っていた。アルのような選手がチームにいたら、引退なんてしてほしくないと思うものだよ。アルは、ブルーズというフランチャイズにずっといることになる」とブルーズのジェネラル・マネジャー、ラリー・プローは話す。

今週、引退を表明したオールスター常連のディフェンスマンはマッキニスが2人目。ニュージャージー・デビルズのスコット・スティーヴンズの引退発表から3日後れてのことだった。

2001年1月に相手のハイスティッキングで目を負傷。2003年10月、シーズンが始まってすぐの試合で同じ目を網膜剥離で負傷して以来、マッキニスはプレイしていない。

マッキニスに引退を決意させたもの。それは目に関する懸念ではなく、リンクから離れていた時間だった。

「まるまる2年、真剣勝負をしていなかった。以前のようにプレイできるレベルにはもう戻れないだろうと感じた」とマッキニスは語った。「時間が問題だった」

1999年、NHLの最優秀ディフェンスマン賞(ノリス・トロフィ)獲得。2002-03年にはディフェンスマン1位の68ポイントを記録した。2002年にはソルトレイク五輪カナダ代表として金メダルも獲得している。オールスターに選ばれること13回、NHLのキャリアでは1416試合に出場し、340ゴール934アシストの通算記録を残した。

1981年のNHLエントリー・ドラフトでカルガリ・フレイムズが1巡目指名。通算ポイントはレイ・ボーク(1579)、ポール・コフィ(1531)に次いでディフェンスマンとしてはNHL歴代3位だ。オールスターのスキルコンペでは「ハーデスト・ショット部門」で7度優勝している。

ブルーズでは613試合に出場し、127ゴール325アシスト(452ポイント)でディフェンスマンのポイント数としてはチーム歴代1位。そんなマッキニスが最も残念がっていることは、ブルーズでスタンリー・カップを獲得できなかったことだ。

「マーケット・ストリート(セントルイスの目抜き通り)をスタンリー・カップを持ってパレードするのを、何度思い描いて、空想にふけったことか。残念ながら、それは実現しなかったけれども、よりよい未来が待っているし、いつか実現すると確信している」

今後はブルーズでスカウトか選手育成部門で働く可能性があるとマッキニスは言った。自分の子どもたちと一緒でなければ、すぐにはコーチ職には就きたくないという。

「コーチをする人々の義務や責任がどんなものか理解している。リンクや球場やフットボールのスタジアムで、選手時代より多くの時間を費やすのがコーチだ。小さい子どもたちが4人いるので、いまはそういう責任を果たせるという確約はできない」

** Getty Imagesから画像を2つ **

バレット・ジャックマンとアウォードで。タキシードも似合います

1991年オールスター記念写真。グレ様も若い
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