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ヴァンサン・ダンフースが現役引退
2005年09月08日 (木) 21:10 | 編集


ラヴァル(CP)-- ヴァンサン・ダンフース(37)が7日、18年のNHLキャリアに終止符を打つことを表明した。引退の発表に、涙はなかった。

トロント、エドモントン、モントリオール、そしてサンノゼで計1205ポイントを記録したダンフースは、リンクから離れたところでの新たな挑戦を楽しみにしていると語った。しかし、その挑戦がどんなものになるかはまだ決まっていないと言う。ダンフースはおそらくホッケーの経営側に回るのではないかと言われている。

「将来何をするか、それを言う用意はまだできていない。この2、3週間、考えることは他にいろいろあった。何をするかは、今後決めるよ」とダンフースは語った。傍らに妻アラナを伴っての引退会見は、代理人であるボブ・ソーヴの事務所で行われた。

「ホッケーのビジネス面に、ずっと興味があった。ホッケーのことは知っているし、NHL選手会の副会長をする機会もあったので、ホッケー・ビジネスについてよく知る必要があった。でも今後何をするかは今のところ決めていない」

ダンフースの引退表明は、デビルズの花形ディフェンスマンであるスコット・スティーヴンズ引退の翌日になった。だがスティーヴンズと違っていたのは、ダンフースは今シーズンもプレイしたいと思っていたことだ。

モントリオール出身のダンフースには、今シーズンにプレイしたいと思っていたチームがいくつかあり、カナディアンズもその中の一つだった。

しかし8月1日にフリー・エージェント争奪戦が始まると、最近のシーズンで成績を落とした年寄りフォワードに興味を示すチームはなかった。

あるチーム(キャピタルズと伝えられる)が契約しないかと誘い、その他4チームが代理人に電話をしてきた。しかしその頃にはダンフースの気が変わっていた。まだ6ヶ月の小さな息子から離れ、82試合を戦い抜く気がなくなっていたのだ。

「8月1日に、ぼくは契約できると各チームに知らせた。でもトレーニング・キャンプが近づくにつれ、自分のホッケーに対する気持ちが100パーセントではないことに気づいた。他のことにも挑戦してみたいんだ」(ダンフース)

2004-05年のシーズンまるごとを無駄にしたロックアウトの間、ダンフースは選手側の中心的存在だった。しかし新労使協定が締結した後、ダンフースに仕事はなかった。

昨シーズン、ダンフースはコロラド・アバランチと契約。しかしアバランチのジャージを着ることはなく、前年の年俸より割安だった200万ドルの給料を受け取ることもなかった。アバランチとの契約には今シーズン分のオプションが付いていたが、昨シーズンにある一定のポイントを記録することが条件だった。

従って、2004年プレイオフの西カンファレンス準決勝で、シャークスがカルガリ・フレイムズに敗れた試合が、ダンフースにとって最後となった。

「もちろん、感情的になったし、涙も流したし、妻ともよく話し合った。でも正直な話、準決勝でカルガリに負けたとき、これがキャリア最後の試合になるかもしれないとわかっていた」とダンフースは言う。

「ロックアウトが長引く可能性があるって知っていたからね。(ロックアウト中の)1年間、ホッケーをしなくても気持ちが落ち着いていたし、他のことにもいろいろ興味があったし」

ダンフースはあるレベルのチームでジェネラル・マネジャーをするのではないか。または、かつてのチームメイトだったパトリック・ロワがケベックシティのジュニア・チームのオーナーになったように、ジュニアのチームを経営するのではないか。そう見る者もいる。

ダンフースは1986年のNHLエントリー・ドラフトでトロント・メイプルリーフスから指名された。1989-90年には94ポイントを稼ぎ、リーフスのトップ・フォワードになった。

1991年、エドモントンにトレードされる。見返りでグラント・フューアとグレン・アンダーソンがリーフスへ移るという大型トレードだった。オイラーズでは89ポイントを記録したが、わずか1年でモントリオール・カナディアンズへトレード。見返りはシェイン・コーソンと他2人だった。

生まれ故郷のモントリオールに帰った最初のシーズン(1992-93年)に、スタンリー・カップを獲得。最初で最後のカップ獲得は、キャリア最大のハイライトだとダンフースは言う。その年は97ポイントをマークした。

「モントリオールでカップを取った年が、最高の思い出。まるで夢のようなシーズンだった。キャリアハイのシーズンだったし、カップの取り方も、全試合をオーバータイムで勝って、場所はモントリオール・フォーラムで、何もかもが完璧だった。自分のプレイも最高で、モントリオール時代は最高だった。でもこれまでプレイしたチームすべてが大好きだけどね」

モントリオール7年目のシーズン中、カナディアンズのキャプテンだったダンフースは3つのドラフト指名権と交換でサンノゼへ送られた。おとぎ話だと、ダンフースはキャリア最後のシーズンをモントリオールで過ごせたはずなのだが、カナディアンズは若い選手で新しいチームづくりの途中にある。カナディアンズから拒絶されたことを、ダンフースは自分へのあてつけだとか、個人的な意味では受け止めなかった。

「カナディアンズの計画に、ぼくはぴったりこなかった。べつにいいんだ、理解している。ぼくはチームでいちばん若い選手ってわけじゃないから」


:::  私がNHLを見始めた頃(1998-99年のシーズン)、ダンフースは名門カナディアンズのキャプテンを務めておりました。それが突然シャークスにトレードになり、さぞ気落ちしているかと思いきや、ラインを組んだテーム・セラニとの息もピッタリぴたぴたで個人成績も悪くなく、セラニにも「ヴィニー、どこにも行かないでね」などと言われるほど信頼されていたとかで、楽しいシャークス・ライフを送っていたのでした。
「ホッケー命!」のガチガチのファンばかりのモントリオールで、しかもキャプテン。ハブズ時代の彼のプレッシャーは相当なものだったのでしょう。ホッケーの注目度も低く、しかも全米随一のリベラルな風が吹くベイエリアでのびのびとホッケーをやれたことは、彼のNHLer人生の中でも楽しい思い出だったに違いないと察します。
キャプテンをやっていたぐらいだからリーダーシップはあるのだろうとは思っていたけど、NHLPAの副会長だったとは知らなかった。ビジネスに興味があるという彼、きっとそのうち、スーツ姿で私たちの前に現れてくれることでしょう。まだ37歳だもんね、現役引退してからの人生のほうが長いんだし、ゆっくり目標までがんばって。お疲れさまでした。
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